無事に入学した息子のこまぁ。当時住んでいたマンションは学区外だったため、
信号を渡って登校班に行くのに10分ちょっとかかったのでしょうか。最初は危なくてこっそり後ろからついていきましたよ。
信号無視して目の前を渡った大人に続いて渡ろうとして引かれそうになったりね。汗
入れた小学校は私や私の母親の母校だったりもするのですが(笑)、入れた理由はね・・・
こんな感じでしょうか。実は近所の小学校でクラスが一クラスしかない(それも一クラス30人弱)のはここだけ。
勉強や運動など色々な子と競争させて伸ばしたいと強く願ってる親は違う小学校に入れてましたね。
一クラスだけですと、うまく行くと卒業までみんなマッタリ。
悪い点は一年生の時の力関係がそのまま六年生まで続くってことかな。苦笑
字がうまく書けない
嫁さんが我が家に来てくれてからは、字が書けないこまぁに根気よく教えてくれました。
最後はお互い泣きながら書いてたりしてね。前の方のページでも書きましたが、
泣かせてでも教えると時間は掛かるのですが覚えるのですよ。
もちろん、泣かせてまで教える必要はないでしょうって思う親がいても、その考えは否定しませんよ。
我が家の場合、とにかく名前は書けるようにしよう!って決めてましたので、
入学までの間、大人も子供もがんばってやりましたね。
計算ができない
算数についても最初から出来るとは思っていませんでしたので、それほど慌てませんでしたね。
ただ、それでも嫁さんは根気よく教えてくれました。
二年生くらいになると、足し算の100マス計算を時間を測ってゲーム感覚でやることを教え、
数分で出来るようになりましたね。
掛け算については九九を歌のように全て暗記することは簡単だったようで、
簡単な掛け算(○○×○○や○○○×○と言ったもの)なら、
ほぼ間違うことなく出来るようになりました。(割り算は現時点で余りがでる計算を勉強しています。)
あと、やはりと言いますか、文章問題はまるっきりダメ。苦笑
計算式なら簡単にできるようなものでも、それが文章問題で出ると理解できない。
この課題についてはこれから先も悩まされそうです。
普通学級では、当然皆と比べると徐々に遅れが出てくるのは分かってましたした。
でもね、入学前に専門の医師に言われた「勉強についていけなくなり、本人が苦しむだけ」
みたいなことはありませんでしたよ。(三年生までなら)
だって、本人「勉強できなくて困ったー」「勉強分からなくて辛いぞー」って気持ち、ないんだもん。笑
「分かんねぇーなー」程度だから。笑
普通級で社会性は身についたのか
確かに何度か泣いて帰ってきたことがありましたが、それも立派な社会性を身につけさせる試練の一つですよね。
最初から支援級に行ったら、このようなことはなかったでしょうからね。
で、このような経験をしたからこそ、現在の学校でも学校から帰ってきたら公園に行って
普通級の同級生とかと遊べるんだと思います。
案外息子が歩んだ1〜3年を普通学級+通級学級、授業が徐々に難しくなる4年生以降を
支援学級で過ごさせる六年間の流れがベストのような気がしますね。
(あくまでも個人的に思うだけですがね。)
息子の支援学級は教科書ってないんですよ。一人一人のレベルに合わせたプリントを出すだけ。
やはり少しでも「教科書」と言うものにも触れさせてあげたいですからねぇ。
(2011.5.27追記)
2011年現在、中学二年生になった息子。
改めて小学校の時の私の選択はどうだったかと考えてみると、
「息子にとってはそれが良かった」と思います。
もちろん、中には「そのまま普通級でも良かったんじゃないか」などと思う人も
たくさんいると思いますが、私はそのタイミングが良かったなぁと改めて思います。
四年生以降は勉強も一気に難しくなります。
既に三年生の時点で、家で教えるのも厳しい状況になってきたので、
勉強と言うストレスを取り除いてあげることが出来たからね。
(って、勉強っていうストレスを与えたのも私ですが。苦笑)
支援級に通わせてみると分かりますが、
帰宅後に友達と外で遊ぶ・・・っていう当たり前だったことが、
無くなる若しくは極端に少なくなります。
理由としては、支援級に通わせる子の家が学区外だったりする場合が多いのと、
やはり「一人で外に遊びに行かせるのは・・・」と躊躇う親が居たり、
そもそも、外で遊ぶとか、友達と遊ぶという発想がない子が多かったりね。
でも、息子の場合は、外で遊ぶ経験もたくさんしていたので、
支援級に入ってからも、あちこち遊びに行ってましたよ。
帰宅後、誰とも遊ばずに家で過ごすのって、親からしたら目の届く範囲に居るから楽だし、
何の心配もしなくてすむんだけど、やはり外で元気良く遊ぶことによって、
精神的にも肉体的にも成長するような気がするんだよね。